映画と本と言葉たち

観た映画や読んだ本についての一人よがりの感想などを、勝手気ままに綴っています。

ギルバートグレイプ

 レオナルド・ディカプリオジョニー・デップが共演した1993年のアメリカ映画「ギルバートグレイプ」を観た。
 タイトルに覚えがあり、昔、と言えるくらい以前に誰かが見るべき映画だと言っていたのを思い出してかりてきた。特に配役情報など気にせず見始めたので、最初の30分くらい、これはディカプリオに見えるけど、まさか本当にディカプリオだろうか、と疑っていた。そのくらい最近のディカプリオとは違って見えた。などと胸を張って言えるほどには最近のディカプリオの作品を観ていないのだが、彼に対する私の勝手なイメージとは違っていた。役柄や年齢のせいもあるかもしれないけれど、この作品の中では彼はディカプリオではなく、登場人物のアーニーでしかなかった。この若さで既に俳優の真骨頂を見せてくれたように感じる。
 この映画を観て思ったのは、人はみな自分の暮らしは当たり前の日々になってしまうから、そのドラマ性にはなかなか気づかないのではないか、ということだ。人はどう頑張っても自分以外の者にはなれない。自分の人生を生きるしかないのに、その人生さえ自分ではどうしようもない場面が多い。多いどころか実はその連続なのかもしれないし、どうしようもなく進んでいくように見えても全ては自分が原因とも言えるかもしれない。本当に解釈次第だし、ものは言い様だ。そして、今こう思う。「自分の人生を生きるのだ」という言葉の真意は「この世に一つしかない自分の人生を生きているということを、自覚しながら生きるのだ」なのではないか、と。
 「生きよう」と思って産まれてきた人などひとりもいないだろうと思うと、少しだけ世の中が優しく見える気がする。

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