映画と本と言葉たち

観た映画や読んだ本についての一人よがりの感想などを、勝手気ままに綴っています。

万引き家族

 是枝監督の「万引き家族」を観た。
 公開当初のテレビスポットを目にしていて、「盗んだのは、絆でした」というコピーを覚えていた。覚えていたからこそ、その意味を私は字面で捉え、おそらくこういう話なのではないかと、粗筋、というにも粗すぎる物語の漠然とした枠組みを勝手に思い浮かべていた。けれど、実際に繰り広げられた物語は、そんな枠にはまるで嵌まらない、もっとずっと生々しく、危うい、家族を求める人々の姿だった。そしてその姿は、嘘のない現実として目の前に迫ってくるような感覚があった。
 この家族の秘密に、私は映画の中盤まで全く気づかなかった。世の中の人々は大抵の場合、家族だから家族として暮らすのだろうけれど、それだけでは絆と呼ばれる深い結びつきは得られず、家族として暮らしたから家族になった、と言えるところまで、もう一周してこそ、家族になれるのだという気がする。つまり、「家族」には、すでに家族になった家族と、家族になろうとしている家族、があるように思う。家族になることを諦めた家族、もあるかもしれない。さらに言えば、家族になった家族も諦めた家族も、そこで完結ということはなく、その形は日々更新されていくのだろう。それに、ひとまとめに家族と言っても、そこに含まれる一人と一人の繋がりが、結局はすべてのようにも思える。
 そして、人と人の繋がりを表すものとばかり思っていた「家族」という言葉が、時には人を疎外したり(疎外も、ある意味では繋がりのうちかもしれないが)、人と人を引き裂くこともあるのではないかと考えさせられた。
 家族という言葉は、思った以上に振れ幅のある働きを持っているようだ。