映画と本と言葉たち

観た映画や読んだ本についての一人よがりの感想などを、勝手気ままに綴っています。

パッチギ

 2005年公開の井筒和幸監督作品「パッチギ」を観た。
 話題になっていた公開当時から、いつか観ようと思っていたが、もう17年も経っていたことに驚く。
 舞台は1968年の日本で、主人公は高校生。この映画を観て思い出したことがある。
 いまから30年以上前のことだけれど、高校の同級生に朝鮮人の両親を持つ男子がいた。高校を卒業してから、その彼と私の親友が恋仲になった。私は彼の両親が朝鮮人だということも、彼の名前が日本用に作られたもので、朝鮮人としての本名が他にあるということも、卒業後に親友から聞くまで知らなかった。親友も彼と付き合わなければ、彼を日本人と思ったままだったろう。社会科が苦手だった私は朝鮮と日本の関係やその歴史に疎く、うっすらと「何か良くない関係があった」という漠然とした印象を持っているだけで、それも昔のことと思っていた。だから親友が「このまま彼と付き合い続けても、未来は暗いだろう」というようなことを言ったとき、少し驚いたのだった。
 彼の両親が、息子の結婚相手には朝鮮人を望んでいる、望んでいるというよりはそれが当然だと思っている、という話を彼から聞いたという親友は、今すぐ結婚したいわけではないけれど、いつか別れる前提で付き合っているわけでもないから複雑な気持ちなのだと伏し目がちに語った。彼女は教養と知恵と落ち着きのある、かわいらしくも美しい女性で、人柄も温厚だった。こんなに素敵な女性なのだから、会ってしまえば彼の両親も受け入れてくれるのではないかと私は考えたが、なぜかそれを口にすることはできなかった。軽々しくそんなことを言うべきではないと、どこかで感じていたのだろう。
「パッチギ」を見て、やはり当時の私の考えは浅はかなものだったと思わされた。
 過去の出来事をなかったことにはできないし、国と国の関係というのは一度こじれると根深いものが残る。これは若い頃にはピンとこないことだったが、歳を取るにつれて頷けるようになった。けれど根深いからこそ、丁寧に対処し、両者が明るい未来を共有できるように歩み寄る努力をしてほしいと思う。それをしてくれるだろう政治家や政党を選んで投票する、というのが一個人としてできることであり、国民としての義務でもあるのだと感じる。
 
 社会科が苦手なまま大人になり政治にもあまり興味を持たずにいた私に、この映画は「国民としての義務」を実感させてくれた。改めて映画のもつ力、のようなものを知った気がしている。