深夜のNHKラジオで山本周五郎の短編「三年目」が読まれた。
数多ある周五郎作品のうち、ほんのいくつかを読んだことがあるだけだけれど、いつも結末が深く深く胸に沈み込んでくるような、物語の終わりとともに何が絶対的なものを手渡されるような感じがある。
今日聞いた「三年目」も、やはりそういった作品だった。
小説の題材やあらすじは違っても、かならずと言っていいほど最後に手渡されるものの感触は決まっていて、それなのに毎回新鮮な気持ちでそれを受け取れるのはなぜだろう。
周五郎作品に触れると、人の愚かさは負の要素ではなく、愚かだからこそ真摯に生きることができるのだと言われているような気がする。清く賢く生きている人には、愚直な一面があるものなのかもしれない。周五郎の描く人物は、そんなふうに感じさせてくれる。