映画と本と言葉たち

観た映画や読んだ本についての一人よがりの感想などを、勝手気ままに綴っています。

格闘するものに○ (三浦しをん)

 三浦しをんさんのデビュー作「格闘するものに○」を読んだ。
 言わずと知れた人気作家である。ご本人がラジオのインタビューで語っているのを聞いたのだが、就職活動の際に出版社を受けたのがデビューの発端だとのこと。筆記試験に含まれていた作文の欄で披露した文章が、読んだ人の興味を引いて、何か書いてみませんかと声がかかったという。いかにも、才能が見出だされた瞬間だ。
 才能や素質と呼ばれるものは、確かに存在していると感じる。以前はそれを特別なものと捉えていたけれど、最近では誰もが持つ個性や性質の一つ、という見方もできるなと思う。つまり、世間に注目されたり、認められるような大きな業績を残す才能もあれば、誰にも認められず、何の役にも立たないように見える才能もあることになるわけだけれど。
 さて、この作家の才能はもちろん前者のわけだが、その才能を見出した人の、「才能を見いだす才能」に私は脱帽する。ひょっとしたら大勢に声をかけていて、鳴かず飛ばすの結果に終わる場合の方が多かったのだとしても。 
 
話をこの本に戻すと、主人公は就活中の女子大学生である。冒頭に置かれた短いお話は、しをんさん自身が前述の就職試験で書いたものなのではないかと勘繰りたくなるような流れだ。そうであってもなくても、主人公をとりまく環境や状況や物語の展開は、作家の想像による創造物に違いなく、私にはなんだが、登場人物たちの自分自身との格闘の度合いが、心地よく感じられた。そしてこの心地好さは、この作家の他の作品にもあったことが思い出された。
「風が強く吹いている」「まほろ駅前多田便利軒」「船を編む」など、これまで読んだ三浦作品は、いつも心酔するほど楽しめたが、今振り返るとそのどれにもこの処女作と同様の心地よさがあった気がする。心地よさというと、何か淡いもののように思えるかもしれないが、そうではなく痛快な心地よさだ。各作品は全く別の業界、別の日常、別の人物を描いていても、やはりどれもが三浦しをんの世界、ということなのかもしれない。



格闘する者に○ (新潮文庫)

格闘する者に○ (新潮文庫)



ボクたちの交換日記

 監督・脚本、内村光良の2013年公開の邦画「ボクたちの交換日記」を観た。原作は、放送作家鈴木おさむの小説「芸人交換日記 ~イエローハーツの物語~」 
 コンビのお笑い芸人を目指していた高校生の主人公ふたりが、いつしかそれぞれの道で、それぞれの生活を持つようになり、長い年月を経て再会するまでを描いていた。
 コンビでお笑いをやりたいのに、二人のうちの一人だけが才能を認められ、もう一人はその道を諦めるという展開の中で、二人の友情と仕事への向き合い方(つまりは自分自身への向き合い方)が示されていて、思い通りにならないことにどう対処するかで、人の生き方は決まるのだと感じた。と言うと、対処するまで生き方は決まっていなくて、どうするかを選んだ時点で生き方が決まっていくように聞こえるかもしれないけれど、案外その逆で、その人がその人である以上、選ぶ道というのは既に決まっていて(少なくとも大筋においては決まっていて)、何かの選択をする度にその人の生き方が浮き彫りになっていくのではないか、という気がした。運命論のように聞こえるだろうか。私がこんなふうに感じたのは、以前、作家の保坂和志という人が、次のようなことを何かに書いていたのを読んだからかもしれない。

「人は、自分で選んで生きているつもりでも、選んでいるのはほんの表面的な部分でしかない。こうもできるああもできると思っていても、実際にはこうとしかできないものだ。」

 保坂氏が述べていたこのことを、この映画が具現化しているように私の目には映ったのだと思う。
 自分という人間が一人しかいない以上、最終的に選べるのは一つの道だけだ。ああもできたしこうもできたのに、と悔やむのは自分への言い訳であり甘えなのだろう。 
 私はこの映画のラストシーンが好きだ。どうということもなく交わされる、主人公ふたりの二言三言のやり取りに、長い年月にさえ収まりきらなかった二人のえも言われぬ思いが溢れでていたように思えてならない。

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ボクたちの交換日記 [DVD]

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  • 発売日: 2013/08/21
  • メディア: DVD


 


百万円と苦虫女

 2008年公開で蒼井優主演の「百万円と苦虫女」を観た。 
 DVDのジャケット裏にある粗筋を読み、アルバイトで百万円を貯めて家を出た女の子が、貯金が百万円になると次の街に引っ越す、ということを繰り返す話なのだなと理解し、それが明るく楽しく軽快な旅であるような予想を、私は無意識のうちにしていたようだ。その予想が全く外れたわけではないけれど、これほどまでに心に深く染み入る映画になるとは思っていなかった。
 じわじわとゆっくり静かに染み入ったのではなく、ガツンとくる瞬間があって、そこから映画の中のいろいろなエピソードが、くっきりとした色を持ってなだれ込んできた気がする。
 ガツンときたのは、自分探しの旅をしているのかと尋ねられた主人公が、それに答える場面だ。この主人公と私は親子のような年齢差だが、私は未だに自分探しをしているようなフシがある。そして私の自分探しは、「私の人生こんなはずではない」という自分への買い被りや、今の自分の全面否定を土台にしていたのだ、と気づかされた。出発点がそれでは、いくら探したところで自分など見つかるはずもない。そもそも自分とは探すようなものではなかったのだ(私にとっては)と教えられ、今の自分を自分なりにしっかりと見つめ、あるがままを受け入れようと思えた。
 12年も前に公開されていた映画を今さら観たわけだけれど、見ないまま人生を終えなくて良かったと感じている。

百万円と苦虫女 [DVD]

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  • 発売日: 2009/01/30
  • メディア: DVD


 


誘拐ラプソディー (荻原浩)

 2001年に刊行され、2004年に文庫化された荻原浩の小説「誘拐ラプソディー」を読んだ。
 文庫の裏表紙に「笑って泣ける」というようなことが書かれていたが、全くその通りで期待に違わず楽しめた。
 犯罪に巻き込まれたり、犯罪が絡んだ小説はよくあるけれど、この物語の犯罪者はとてもチャーミングで、人間味があって、凶悪とは程遠く思える。そして、読み終えた今になって、そう思えたのは作者の筆力によるものなのだと、当たり前のことにしみじみと気づく。
 真面目に働く代わりにギャンブルや犯罪を思いついてしまう主人公のキャラクターは、不運を言い訳にするダメな人である。けれど決して冷酷なわけではなく、子どもは嫌いと言いながら誘拐したはずの6歳の男の子と仲良くなってしまう、そうした筋書きは勿論だけれど、場面場面での、主人公の心情や子どもとのやりとりの中に表れる、つかみ所のない何かに、読む者としてとても引かれたのだと思う。それを率直に言えば、ただ物語に引き込まれていた、というだけのことなのだろうけれど。
 エンターテイメント小説、という言葉があるが、そう呼ばれるジャンルのものこそ、人間をどう描いているかで読み応えが違ってくるのかもしれない、と改めて感じた。

誘拐ラプソディー (双葉文庫)

誘拐ラプソディー (双葉文庫)

  • 作者:荻原 浩
  • 発売日: 2004/10/01
  • メディア: 文庫


 


万引き家族

 是枝監督の「万引き家族」を観た。
 公開当初のテレビスポットを目にしていて、「盗んだのは、絆でした」というコピーを覚えていた。覚えていたからこそ、その意味を私は字面で捉え、おそらくこういう話なのではないかと、粗筋、というにも粗すぎる物語の漠然とした枠組みを勝手に思い浮かべていた。けれど、実際に繰り広げられた物語は、そんな枠にはまるで嵌まらない、もっとずっと生々しく、危うい、家族を求める人々の姿だった。そしてその姿は、嘘のない現実として目の前に迫ってくるような感覚があった。
 この家族の秘密に、私は映画の中盤まで全く気づかなかった。世の中の人々は大抵の場合、家族だから家族として暮らすのだろうけれど、それだけでは絆と呼ばれる深い結びつきは得られず、家族として暮らしたから家族になった、と言えるところまで、もう一周してこそ、家族になれるのだという気がする。つまり、「家族」には、すでに家族になった家族と、家族になろうとしている家族、があるように思う。家族になることを諦めた家族、もあるかもしれない。さらに言えば、家族になった家族も諦めた家族も、そこで完結ということはなく、その形は日々更新されていくのだろう。それに、ひとまとめに家族と言っても、そこに含まれる一人と一人の繋がりが、結局はすべてのようにも思える。
 そして、人と人の繋がりを表すものとばかり思っていた「家族」という言葉が、時には人を疎外したり(疎外も、ある意味では繋がりのうちかもしれないが)、人と人を引き裂くこともあるのではないかと考えさせられた。
 家族という言葉は、思った以上に振れ幅のある働きを持っているようだ。




海の見える理髪店 (荻原浩)

 荻原浩さんの直木賞受賞作「海の見える理髪店」を読んだ。
 短編集であるこの本の表題作「海の見える理髪店」を、以前、ラジオの朗読で耳にしていた。それが、この作家に触れた最初の時で、印象があまりにも鮮烈だった。
 主な登場人物は理髪店の店主と客の二人で、そのどちらもが主人公に思えるのだが、この物語はほとんど店主の一方的な語りで出来ている。小説の中に誰かの回想が描かれることはよくあるけれど、それが小説の一部でなく、作品そのものになっていて、しかも終始目の前の相手に語って聞かせている。おそらくはその形態のせいで、(朗読の効果も相まってか)ほかの小説からは感じたことのない臨場感、とでも言えそうなものに打たれた。
 話の内容はといえば、そこにもはっとさせられる仕掛けがあり、それを仕掛けと呼ぶには浅はかなことを感じさせられ、人生のままならなさを手にとって見ているような展開に愛着を感じ、この作家の他の作品も読んでみたいと思ったのだった。

 実際読んでみて、この本に収録されている他の5作品も、楽しく読めた。そして、確かに楽しく読めたのだが、その一言では片付けられない面白さと深みを感じた。特に好きなのは、小学三年生の女の子が主人公の「空は今日もスカイ」。
 軽快なリズムで、気持ちよく読まされてしまった。でも、読後の残像は、くっきりと残っている。実は重いテーマを、こんな風に扱えるのは、やはり作家の才量なのだろう。

海の見える理髪店 (集英社文庫)

海の見える理髪店 (集英社文庫)

 


マチネの終わりに (平野啓一郎)

 平野啓一郎著「マチネの終わりに」を読んだ。
 この作品は2015年から2016年まで毎日新聞に連載されたもので、昨年、映画化されている。
 序文で、主人公の二人に実在のモデルがいることが明かされ、その上で著者は「他人の恋愛ほど退屈なものはないが、彼らの場合はそうではなかった」と述べていて、読んでみると、なるほどそうだろうとすっかり納得できる。
 この本を恋愛小説と呼ぶことに違和感はないけれど、そこに描かれていたものは、あまりにも広い奥行きを持った、それでいて針の穴ほどのほんの一点に焦点を定めたような、二人の生き方だったように思う。
 お互いに最愛の人であり、その人との時間を心底欲していて、社会的にもなんの落ち度もない二人が、気づいた時には引き裂かれ、その後の人生を望まなかったはずの形で送ることになるというのは、理不尽で残酷なことだ。そして
、ふと現実を振り返れば、理不尽も残酷も当たり前のように世の中に収まっている気がするけれど、だからこそ主人公ふたりを通して、こんなにも潔白な想いが、人の心には生まれ得るのだと知ったことは、私の目に映る世界をいくらか変えたように思う。たとえ明日からの私の日常に、何の変化もないとしても。
 物語に出会うというのは、そういうことなのだろう。
 

マチネの終わりに DVD通常版(DVD1枚組)

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  • 発売日: 2020/05/27
  • メディア: DVD


コーヒーが冷めないうちに

 2018年公開の邦画「コーヒーが冷めないうちに」を観た。
 以前、書店で「4回泣ける」と書かれたポップと共に平積みされていたし、テレビスポットも目にしていて、気になっている作品だった。
 過去に戻るという状況を題材にした小説や映画はたくさんあるけれど、何度読んでも、観ても、「また過去に戻る話か」とは思わず、不思議と飽きることがない。もちろん作品毎に物語の中身がまるで違うのだから、飽きるはずなどないのかもしれず、恋愛や家族を題材にした作品がどれだけあっても飽きないのと同じことだとしたら、「過去への希求」も恋愛や家族と同等に人から切り離し難いものなのだろう。どんなに願っても、決してかなわないことだから、永遠のテーマになるのかもしれない。
 どんなに願っても現実にはあり得ないことなのに、「コーヒーが冷めないうちに」は、なぜか現実的で日常的な生活感のある映画だった、ように思う。過去に戻るという出来事そのものよりも、それを願う人々の気持ちに重点が置かれていて、それが丁寧に描かれていたからだろうか。
 「今」はどんどん過去になっていくし、過去になってしまった時間を取り替えることはできない。そして、未来は次々やってくるのに、私たちが生きているのは常に「今」であって、未来を生きることはできない。そう考えたら、「今日できることを明日に延ばすな」と「明日できることは今日やるな」という相反するようにみえるこれらの言葉が、実は同じひとつのことを指しているように思えてくる。 

コーヒーが冷めないうちに 通常版 [DVD]

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  • 発売日: 2019/03/08
  • メディア: DVD
コーヒーが冷めないうちに

コーヒーが冷めないうちに


ゴールデンスランバー (伊坂幸太郎)

 伊坂幸太郎作、ゴールデンスランバーを読んだ。 初出は2007年で、2008年の本屋大賞と第21回山本周五郎賞を受賞している、ということを今回文庫を手にとって初めて知った。
 これまで、この作家の作品は映画になったものを観るばかりで、振り返ってみると小説という形のまま触れたことがなかった。そして映画として観た彼の作品はどれも、私にとっては心情に訴えてくるものが多かった。ストーリー展開も当然気にはなるし、それを軸に話に引き込まれていくのだけれど、最終的に伝わってくるのは人と人の繋がりとか思いとか、そういったものだったと思う。物語は心理や人物を描くために必要な設定なのだ、と言っては言い過ぎだろうか。(そういう場合もあるだろうし、そうでない場合もあるだろう。)
 「ゴールデンスランバー」も映画化されているが、それを観ないまま今回小説を読んでみた。すると、なにしろストーリー展開に強く引き付けられた。次に何が起こるのか、主人公はどうなるのか、ハラハラしながら先が気になってたまらず、どんどんページをめくっていった。ということは、とても面白い本だったのだろう。とっくに映画化されていることも知らずに、これこそ映画で観てみたいなどと思いもした。でも個人的には、なんとなく、どこか物足りなさがあったのは、登場人物たちの心情を色濃く感じ取る時間を持てないまま読み終わってしまったからかもしれない。
 それは私に感じ取る余裕がなかったからだと思う。あとから考えると、友人との関わり、親子の情、思い出を共有する今は遠い誰か、通りすがりの相手など、人と人の繋がりも個人個人の心情や人間性も絶え間なく描かれていたのに、出来事の流れを追うことに夢中で、よく噛んで味わうべきものを噛まずに飲み込んでいたのかと思うと残念である。しかしその時は次の皿にはどんな料理がのっているかを早く知りたくて急いでしまったのだ。自分がそんな読み方をすることもあるのだと分かったのだから、それを収穫と思うことにしよう。
 映画であれば、ページをめくるスピードは自分では決められないし、登場人物の表情や声、背景となる景色も向こうからやってくる。そう思うと、過去に観た伊坂幸太郎作品を原作とする映画たちは、映画化に最大限成功していたのではないかと思える。映画制作になどまるっきり関わったことのない身分で言えたことではないけれど。

ゴールデンスランバー (新潮文庫)

ゴールデンスランバー (新潮文庫)

ゴールデンスランバー [DVD]

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  • 発売日: 2010/08/06
  • メディア: DVD



 


カメラを止めるな

 2017年公開の映画「カメラを止めるな」を観た。
 公開当時、話題になっていたことは知っていたが、監督&俳優養成所の生徒たちによる作品だとは知らず、今回観た後で初めてそれを知った。とはいえ、そのこと自体は私には関係のないことで、知らないまま、変に先入観を持たずに鑑賞できて良かったように思う。
 ホラー映画は苦手で、普段は避けているので、10分位で観始めたことを後悔したけれど、目を瞑りたい気持ちを押さえるために(と言うと言い訳だろうか)少しだけの早送りを繰り返しながら、なんとか先に進めていくと、「あれ?」と思う場面に出くわし、その後は二度と早送りなどせずに(したいと思いもせずに)最後まで興味深く観ることができた。この作品には「この映画は二度始まる」というキャッチコピーがついていたようだけれど、なるほど
その通りだった。そして二度目に始まってからは、目を瞑ろうとしたことなどすっかり忘れて釘付けになっていた。
 観終わったあとで、昔夢中になって楽しんだ「王様のレストラン」という連続ドラマを思い出した。三谷幸喜脚本の人気作品だ。
 料理であれ映画であれものを作るということ、もっと言えば作ったもので人を楽しませるということは、どうやら並大抵のことではなく、それに関わるプロたちの、それぞれの覚悟の上に成り立っていくものであるらしい。

カメラを止めるな!

カメラを止めるな!

  • 発売日: 2018/10/27
  • メディア: Prime Video


神様 (川上弘美)

 川上弘美の短編集「神様」を文庫本で読んだ。
 何年も前に、作家の保坂和志氏が「川上弘美の真鶴を読め」と、どこかで発言していたのを見て、真鶴をはじめ、彼女の作品ばかりをある時期読み続けたことがある。何作読んだかは覚えていないけれど、「神様」は今回初めて手に取った。
 久しぶりの川上作品だったが、独特の世界観というか作風というのか、彼女の紡ぐお話の中に、安心して心地よく身を任せることができた。読み終えたときは、なぜだか「かなわんなぁ」という感想がひとりでに漏れ、上から目線とも取れるような言葉に自分で驚きつつ、なんだか笑ってしまった。何がどうかなわないのかなどということは言語化できず、ただ紛れもなく素直な感想だったのだ。
 あとがきを読んで、「神様」がデビュー作だったと知った。川上弘美は最初から川上弘美だったのだ、と言えば、これもまたエラソーな感想だろうか。
 手元に置いて、何度でも読みたい本である。


神様

神様


キツツキと雨

 2012年公開の映画「キツツキと雨」を観た。主演は役所広司小栗旬。 
 映画を撮るなどということは、一般人にとっては間違いなく非日常だけれど、映画監督や映画制作を仕事にしている人にとっては日常でもあるだろう。誰かの日常がほかの誰かにとっては非日常になる、というのは当たり前のことで、人が皆唯一無二の人生を送るのは、それぞれに違う日常を過ごすからなのだと改めて感じる。そして、この映画の中の克彦さん(役所広司)と浩一(小栗旬)は、それまで全く別の世界、別の日常を生きていたのだけれど、偶然知り合い、映画制作という同じ世界を共有することで、お互いに相手を通して新しい自分を見つけ出したようだった。
 出会いによって、或いは経験によって、人は成長したり変わったり、物の見方や考え方が豊かになったりすることがあるのだろうけれど、それはもしかすると、自分でも気づかずにいた自分の一面に気づく、ということなのかもしれない。
 

キツツキと雨 通常版 [DVD]

キツツキと雨 通常版 [DVD]

  • 出版社/メーカー: 角川書店
  • 発売日: 2012/07/20
  • メディア: DVD


紙婚式 (山本文緒)

 山本文緒の短編集「紙婚式」を読んだ。
 初出は22年前だけれど、これを読む限り、結婚生活が夫や妻にもたらす変化というのは、時代によらず、ある程度一貫性がありそうだ。いや、結婚生活が夫や妻に変化をもたらすのではなく、共に暮らすことによって、もともとあった二人の間の齟齬にお互いが気づくたけなのかもしれないけれど。
 この本には8編の短編が収められていて、それぞれに全く無関係の8組の夫婦が登場する。どの夫婦も一見普通の夫婦なのだが、どの夫婦も当人にしかわからない感情と事情を抱えている。つまりは、普通なんてあってないようなものなのだ。と、常々感じていることが、自分の手の中で具現化されている感覚を味わった直後に、この本の解説の中にこんな文章を見つけた。
 ❮普通の人や平凡な生活を描きながら「普通の人」や「平凡な生活」など何の実態もないのだと暴いてみせる。恐怖と共感で、ページをめくらずにはいられなくさせる。❯なるほど、そういうことかとやけに納得しながら読み進めると、少し先にはこんな文章が。
 ❮‐‐夫は既に私の一部である。他人ではないので会っても淋しさは紛れない。淋しさを紛らわしてくれるのは「他人」であることを私は知った。‐‐ この文章に私はぶちのめされた。❯
 同感。私もこの文章にはかなりの衝撃を受けました。解説とは、野暮なものであるような気がしていたけれど、読後の感想を友人と語り合っているかのような感触を与えてくれることもあるのだな、と初めて思った。

紙婚式

紙婚式





 



アヒルと鴨のコインロッカー

   2007年公開の映画「アヒルと鴨のコインロッカー」を観た。原作は伊坂幸太郎。   
 巧妙で根の深い仕掛けが、それも物語全体をひっくり返すような大仕掛けがあって、最後にはすべて腑に落ちるけれど、なんて悲しい話なのだろうと思った。悲しみの底に、何かふわふわとした怖さのようなものも、わずかだけれど感じた。そして、悲しい物語だったのだと種明かしされても、冒頭から続いていたコミカルさが消えることはなく、かえってそのコミカルさが作品を支えているような印象さえ残った。

 同時に、私は日々起こる出来事の、ほんの一面しか普段は見ていないのではないかと思わされた。身の回りで起こるのは些細な出来事だとしても、物事にはきっといろいろな側面がある。その事を大前提として常に忘れないでいられたら、人生が生きやすくなるような気がする。日頃、私は視野が狭いなと感じてきたけれど、物事の多面性を意識できていなかった、ということかもしれない。
 主演の濱田岳瑛太は、はまり役だったように思う。いや、はまり役だと思わせるのは、役者の力量なのだろう。二人の不思議な魅力が色濃く伝わってくる映画だった。
 
アヒルと鴨のコインロッカー [DVD]

アヒルと鴨のコインロッカー (創元推理文庫)

アヒルと鴨のコインロッカー (創元推理文庫)

アカペラ (山本文緒)

 山本文緒の「アカペラ」を読んだ。
 表題作を含む中編三作品が収められていて、どれもとても面白かった。
 小説を読んだ後、感想をきちんと言葉で表現するのはなかなか難しい。「面白かった」だけで伝わることがあるとしたら、この人は退屈せずに楽しく読んだのだな、という程度のことだろう。 まぁ、たった一言でそれだけ伝われば充分なのかもしれない。
 私は本当に好きな作品に出会うと、それについての感想や何かをあれこれ述べるのを控えたくなる。そして、そういう人は案外多いのではないかと勝手に思っている。好きな作品について、なぜ詳しく語りたくないのかを考えると、以前、信頼していた読書好きの友達に「最近は誰それを読んでいる」と、話したとき、軽く笑いながら「私はその人は読まない」と切り捨てられたことがきっかけのような気もするし、もともと、宝物は人に見せてはいけない、誰かに見られたらそれだけで傷がつく、と思って生きてきたからのような気もする。
 人生はままならず、ままならなさも人それぞれだけれど、だからこそ小説を求めたりするのだろうか、などと今回は考えた。
 この本の中の三作は、私には、今どきの言い方をすれば、ツボだったのかもしれない。特に三作目「ネロリ」の中には、なぜかはわからないが、心を鷲掴みにされた二行があった。10年以上も前に書かれた物語だけれど、出会えて良かった。

アカペラ

アカペラ