映画と本と言葉たち

観た映画や読んだ本についての一人よがりの感想などを、勝手気ままに綴っています。

はじまりへの旅

 2016年のアメリカ映画で、日本では2017年公開の「はじまりへの旅」(監督、マット・ロス 主演、ヴィゴ・モーテンセン)を観た。
 ツタヤで見つけたとき「普通ってなんだろう」というコピーとカラフルなジャケット(登場人物たちのカラフルな服装)になんとなく引かれて借りてみた。
 いつの頃からか、人の数だけ常識(普通)がある、と思っているし、「普通」という言葉は単に「多数派」を指すのだろうと感じてもいるけれど、改めて問われたら「ホントにね、普通ってなんなんだろうね」と言いたい気もする。
 この映画では森で暮らす家族が、食べるために狩りをするのだが、今の時代そんなふうに暮らしている人はまずいないから普通じゃないと思われている。でも大昔、人類が狩りをして生活していた時代ならそれが普通だったわけで、こう考えると、何が普通なのかを決めるのは「時代」なのかもしれない、と思える。たとえば戦争中の「普通」(常識)と今の世の中の「普通」(常識)がまるで違うなら、ある程度は「時代」が「普通」を作っているに違いない。そうであるならば、普通とは変化していくものであり、実際には何が普通かなんて誰にも決められないのではないだろうか。こう言ってしまうのは言い過ぎだろうか。
 話を映画に戻すと、父親のセリフ(字幕)に「悪意のない間違いだった」というのがあって、その瞬間、少し驚いた。悪意のある間違いがあるのだろうか、と。悪意があればそれは故意なわけで、間違いではなく企みだったり裏切りだったりするのではないだろうか。英語を日本語に訳す上での難しさかもしれないし、敢えてそう言ったのかもしれないが。そして深く頷いたセリフもあった。それは「人間は言葉より行動で決まる」というのと「希望はないと思うと確実になくなる」だ。哲学者チョムスキーの引用として出てきた。忘れたくない言葉になった。
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