映画と本と言葉たち

観た映画や読んだ本についての一人よがりの感想などを、勝手気ままに綴っています。

クリック ~もしも昨日が選べたら~

 フランク・コラチ監督、アダム・サンドラー主演の2006年のアメリカ映画「クリック」を観た。
 「もしも昨日が選べたら」という邦題がついているけれど、過去を変えたりするわけではなく、不快な時間を早送りしたり、過去を見に行ったり、今この瞬間を一時停止して自分だけが動けたりする状況で、主人公が一旦自分の人生を最後まで経験する、というストーリーだった。
 夫婦喧嘩や仕事に忙殺される時間、出世したり成功するまでの時間を早送りすれば、嫌なことや苦労を経験せずにすむので主人公はいろんな場面をどんどん早送りしてしまう。でもそれでしあわせかというと全くそんなことはない。味気ない人生があっという間に終わっていくだけ、ということになる。よく、悲しみがあるから喜びがあるとか、苦労がなければ幸せもないというようなことが言われるけれど、まさにそれを具現化した映画だった。苦労を省いてしまったら、しあわせはしあわせでなくなる。その構図は理解できる。単純にそうだろうと思う。でも今ふと思ったのだけれど、だとするとしあわせとは相対的なもの、ということだろうか。苦労や不幸、不運などと引き比べて初めて、しあわせが、存在するのだろうか。負の要素を、引き合いに出さないと幸せに気づけないのだとしたら、なんだか寂しい気がする。そういうことではないのかもしれないが。
 何がどうであれきっと、心の豊かな人というのは、相対的でない絶対的なしあわせをたくさん知っているのではないだろうか。そして心豊かな人は、どんな時間も早送りしたいなどとは思わないのだろう。


もしも昨日が選べたら (字幕版)