映画と本と言葉たち

観た映画や読んだ本についての一人よがりの感想などを、勝手気ままに綴っています。

キッチン (吉本ばなな)

 図書館に行く時間が取れず、少ない手持ちの文庫本の中から、吉本ばななの「キッチン」を選んで読んだ。20年以上前に購入した本で、その当時一度読んだきりではないかと思うのだが、読み始めるとまるで昨日読み終えたばかりかのように、次々と既知の文章が現れて、驚いた。たとえこの本が好きだったとしても、こんなにはっきり覚えているものだろうかと。若い時に受けた印象というのは、それだけ根深いということか、それとも忘れているだけで実は何度か繰り返し読んでいたからか、またはこの作家の文体によるものなのか。この三つ目はたった今思い浮かんだのだけれど、そんな気がする。文体か何か、この作品によるものかもしれない。
 この本の文章は、なんだかすぐ目の前で語られている感じがするのだ。言い換えれば語り手と、読み手である自分の距離が、とても近い。
 そういえば解説に、語り手と読み手についての件があったなと気になって、今確かめたので抜粋する。
 [吉本ばななの小説は、あらゆる点でこれまでの小説の文章の常識を超えている。(中略) 随所で語り手としての「私」が、突然、「です」「ます」体で読者に話しかけてくる。最初は何だと読者は思う。しかし読んでいるうちにそれに慣れてくるだけでなく、ふつうの小説では味わえない、作品や人物との親密で快いコミュニケーションの体験を味わう。語り手の「私」は、作中人物の「私」と読者の間に立って、(中略)読者に親しく話しかけ、物語と読者の間をうまくつないでくれるのだ。] 
 だから、近くに感じた、他の小説とは違う繋がり方を、読み手である私自身がした、ということか。
 小説の解説は、読む必要のないもののように普段感じている。その作品を自分なりに解釈して自分なりに味わえればそれで満足だから。でも、そこに解説があれば読んでしまうのだが。 
 この本は解説まで含めて、読者に対しての立ち位置、のようなものが、他の小説とは違うのかもしれない。
 
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キッチン (福武文庫)