映画と本と言葉たち

観た映画や読んだ本についての一人よがりの感想などを、勝手気ままに綴っています。

K との再会 (おろかなチホ)

 今日はちょっといつもと違う投稿をしてみようと思う。

「心淋し川」を読んで、人は皆物語の中を生きているのだと改めて感じたせいか、自分の身に起こったことで、忘れられないことを文章にしてみようと思い立った。とはいえ劇的な出来事でもなんでもないのだが。


 二十五歳のとき、中学時代の友人Kと会う約束をした。彼と最後に会ったのは二十歳のときのクラス会だったが、年に一回程度電話をしていた。中学三年の時のKと私の仲の良さはクラス公認で、授業中によく手紙のやり取りをした。Kは私を誰よりも理解していると私に思わせた最初の他人で、間違いなく私にとって特別な存在だった。

 別々の高校へ進学し、顔を合わせなくなり、忘れた頃に電話をかけるだけになっても、Kが特別であることに変わりはなかった。

 なぜ、会うことになったのか経緯は覚えていない。経緯などなく、どちらかが唐突に「今度会おうか」と言えば、相手に断る理由はなかったのかもしれない。

 当日、私は十分遅刻した。都心ではないが複数の路線が乗り入れているターミナル駅は、師走の忙しさもあって混雑していた。待ち合わせ場所のみどりの窓口付近にKの姿はなかった。私は約束の場所ではなく、そこがよく見える場所に立った。Kのほうから「よう」と声をかけられるより、私が先にKを見つけたかったのだと思う。けれど二十分たってもKは現れなかった。

 その駅のみどりの窓口はかなり広く、周囲にはたくさんの人が立っていた。私は彼らの顔を横目で盗み見ながら十メートルほどの距離を行ったり来たりしてみたが、Kらしい人物はいなかった。私は動くのをやめ、人待ち顔の彼らの列に加わった。そこに立ったまま一時間半が過ぎ、私は帰宅した。携帯電話が普及し始めた頃だったが私は持っていなかった。急用でも出来たのたろうかと考えた。時間通りにKは来ていて、十分も待たずに帰ってしまったのだとはどうしても思えなかった。

 ひと月ほどして私はKに電話をかけた。待ち合わせの日のことを尋ねると「俺、行ったよ」と言った。一時間待ったのだと。仕事帰りでスーツの上に黒いコートを着ていたと聞いて、私は合点した。ネクタイ姿のKなど、思ってもみなかったのだ。もう社会人になっていて会社勤めをしていることも知っていたのに、私が探していたのは最後に見た、学生のような格好のKだった。Kのほうも、私の服装やヘアスタイルを聞くと「それなら見たかも」と言った。改めて会おうとは、どちらも言わなかった。

 あれから随分と長い年月が過ぎたが、あの日会えていたら、人生が違ったのではないかと思うことがある。Kに会い、二、三時間、他愛ない話をして別れ、それきりまた会わなくなっても、その二、三時間が、その後の私の励みとか、指標のようなものになり得たのではないかと思うのは感傷だろうか。おそらくは、感傷などではなく、自分の人生を買い被りたいだけの甘えなのだろう。


 今ではすっかり疎遠になったが、年賀状のやり取りだけは続いている。一往復に二、三年かかったりしながら。