映画と本と言葉たち

観た映画や読んだ本についての一人よがりの感想などを、勝手気ままに綴っています。

たたら侍

 2017年公開で錦織良成監督、脚本の「たたら侍」を借りて観た。 
 全編を通して映像がとても美しく、自然の持つ広大で繊細な霊気、とでも言いたくなるようなものが静かに伝わってきた。そのせいで人間の浅はかさや生きるということのはかなさを感じさせられた気がする。
 正直なところ、主人公の生き方や物語としての展開、というか流れというか結末も含めて、それらをどう解釈すればいいのか、よくわからなかった。でも芸術作品というのは、鑑賞した人が好きなように解釈していいものだろうし、だからこそ解釈しきれずに終わることもあるのだと思う。
 以前、何かのインタビューで宮崎駿監督がメッセージ性について問われ「メッセージを込めようと思っては作れない。自分では捕まえられないものを追いかけている。自分で捕まえられるものなんてろくなものじゃない」と言っていたのをまた思い出した。
たたら侍 DVD(通常版)






her / 世界でひとつの彼女

 2013年公開のアメリカ映画「her / 世界でひとつの彼女」を観た。
 妻から離婚を迫られている主人公の男性がコンピューターのオペレーティングシステムに、つまりAIに本気で恋をするという物語で、面白かった。考えさせられるという意味で面白かった。
 たとえばネットで知り合った人と会うことなく、顔もしらないままネット上のやり取りだけで相手を好きになり、恋をすることがあり得るなら、人工知能との恋愛も可能なのではないだろうか。ただ、この場合、恋愛から結婚へと発展することはないわけだが、結婚しないで一生恋愛関係でいたいと望む人には、かえって理想の相手となるのかもしれない。
 主人公の親友の「恋愛は社会的に容認された狂気」という言葉が印象的だった。
  
her/世界でひとつの彼女 [DVD]

 




ハート・オブ・ウーマン



 民放テレビで深夜に放送していた「ハート・オブ・ウーマン」を観た。久しぶりに洋画を観た気がする。テンポ良く物語が展開し、楽しめた。
  主人公の男性が女性の考えを読めるようになってしまい、最初は少し混乱するのだが、最後にはそのことがいい結果を招くことになり、めでたしめでたしで気持ちよかった。
 途中、主人公の上司役のヘレン・ハントが、夫と別れた理由を話していて「私は何でも率直に言ってしまうから、それが嫌だったみたい」というようなことを口にする場面があった。吹き替えだったから、率直と訳されたのがどんな単語だったかわからないが、ズバズバものを言うという意味かもしれない。でも、たとえズバズバではなくてもただ正直にものを言うことが、相手にとって迷惑になることもあるのだろうと思わされた。私は嘘や駆け引きが苦手なせいか、バカみたいについ何でも正直に、時には言わなくていいことまで喋ってしまったりするが、少し前にラジオで「言葉というのは、本心を隠すために使っているように思う」と言っている人がいて、なるほど言葉には確かにそういう側面があると感じてとても納得した。
 人の心や考えを読むことは不可能にも思えるけれど、察しのいい人というのはいる。よく気が利く人と言い換えてもいいかもしれない。周りから、察しが悪いとか気が利かないとか思われることはあっても、せめてバカみたいとは思われないようにしたいものだ。
ハート・オブ・ウーマン [DVD]

佐野洋子の動物ものがたり (佐野洋子)



初版は2018年10月29日、つまり最近だけれど、収録されている6篇のうち5篇は1989年に「図書新聞」に連載されたものとの断り書きがある。連載時のタイトルは「佐野洋子の動物図鑑」。 
 登場するのは動物ばかりだが、体中に毛がはえていたり耳が長かったりしっぽがふさふさだったりする以外は人と変わらない。動物の姿を借りることで、人間の本能や個々の、或いは男女の差異がかえって生々しく迫ってる感じがした。人間も動物に違いないということも合わせて。
  さすが、佐野洋子である。
   
佐野洋子の動物ものがたり

墨東綺譚 (永井荷風)

 




明治から大正、昭和と活躍した名のある作家なので、一度読んでみたいと思って借りてきたのたが、文体、というのだろうか、言葉遣いというか言い回しというか、最後の方は漢文の引用もあって、私にとっては難しかったようだ。それでも前半はその難しさをあまり感じず、いつものようにすらすら読んでいたので、どのあたりから意味がすんなり入ってこなくなったのか、自分でもよくわからない。内容が難しかったとは思わないが、気づいていないだけで実は内容の理解が追いつかなかったのだろうか。
 登場人物のセリフの中に「言文一致」という言葉が出てきたときに、その昔(多分20年くらい前)、森絵都の本を初めて読んで驚いたことを思い出した。その時は小説を読むのがかなり久しぶりだったので、今時の小説は地の文にまでこんなに話し言葉が使われているのかと目をみはった覚えがある。
 小説は、何を書くかと同じくらいに、どう書くかがその作品をその作品にするのだなと改めて感じた。
墨東綺譚 (角川文庫)

八日目の蝉

 井上真央永作博美のダブル主演、と言っていいのだろうか、「八日目の蝉」を観た。
 観ている間中、そして見終わってからもしばらくは、いろいろな思いが胸の中で交錯するような映画だった。
 主人公は犯罪者になってしまったけれど、決して悪人ではないではないか、という思い。人を傷つけておきながらそのことに気づこうとしない男への諦念に塗りつぶされた怒り。血の繋がりだけが、親と子を親子にするのではないという気づき。罪のない子どもに悲しい運命が降りかかることのやるせなさ。非情な行動の原因が心の冷たさとは限らないことの切なさ。 
産みの親の気持ちを考えたら絶対に言えないことで、映画だからこその感情だと思うが物語の終盤は逃げ切って欲しいという気持ちが強くなっていった。しかし逃げ切れるはずもなく、主人公は逮捕されてしまう。それでも逮捕の瞬間に叫んだ言葉が、100パーセント、一縷の隙もなく、母親としての言葉であったことに、救いのようなものを感じたのはなぜだろう。
 
 


八日目の蝉 通常版 [DVD]




イトウの恋 (中島京子)


なんだか不思議な物語だった。
 伊藤亀吉という人の、特別な人生が語られているようでいて、読み終えたときは、誰もがイトウであるような、誰もがイトウの娘であるような、誰もがイトウの娘の娘であり、イトウの娘の娘の娘であるような、そんな感覚が起こったのが不思議だった。もっと言えば、誰もが久保耕平であり、赤堀であり、田中シゲルなのだと思える。こんな言い方では、人には何も伝わりそうにないが。

 この本に出てきた言葉で、思わず書き留めたものをここにも残しておく。
「どんな言葉を使うかは、どんな人間として扱われるかを決定する」
「おまえは一生私を憎むだろう。だか、自分自身のことはいつか許さなくてはならない」
「あれから私は一度も、私にあのような思いをさせる女性に出会っていない」
「誰のようにもなる必要はない。自身の不可思議な人生を生きるのだ」
 
 誰の人生もきっと、不可思議なものに違いない。


イトウの恋

ミックス

 新垣結衣瑛太が共演した「ミックス」を観た。爽快な映画だった。
 ストーリー展開としてはオーソドックスで、先が読めてしまうような感じもあったが、弱かった者が努力によって強さを手に入れたり、寂れていた場所が活気を取り戻したりする姿は、見ている側に達成感や幸福な気持ちを与えるのだろう。
 主人公以外の登場人物たちも存在感がしっかりとあって、それぞれに事情を抱えながら、どうにかして自分の人生を受け入れようともがいている姿がとても好ましく映り、なんだか励まされた。 
 ある意味、単純な筋書きだったようにも思えるのに、厚みを感じるドラマに仕上がっているのは俳優陣の演技のなせる技と思ったが、別の言い方をすれば、単純な毎日のような気がしていても、誰もがドラマを生きている、ということなのかもしれない。
   
ミックス。 通常版DVD
ミックス。 豪華版Blu-ray





家守綺譚 (梨木香歩)

 数年前に一度読み、簡単に言うと「最高」と感じた記憶がある。小説なのだろうけれど、おとぎ話のようなファンタジーのような、それでいて現実的な手触りのある不思議な、でも読んでいると妙に落ち着いた、温かい心持ちになる本だ。
 この本の中の好きなフレーズを書き留めておく。
「死んでいようが生きていようが、気骨のある魂には、そんなことあんまり関係ないんですよ」
「思い込みというのは恐ろしいものだ」
「だかとりあえずは思い込まねばな」

 そのうちまた読み直す気がする。
 こういうのを愛読書というのだろうか。
  
  
家守綺譚





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闇金ウシジマくん

 ツタヤの「おすすめ」の棚にあるのを見て、以前誰かが「面白いよ」と言っていたのを思い出して借りたのだが、率直な感想としては怖かった。 
 世の中には、こういった側面があるのだと思うと、ただただ恐ろしい。 
 生きていく上でお金は絶対に必要だか、それは自分の能力に見合った稼ぎ方で稼ぎ、身の丈に合った使い方で使い、貯めていくべきものだと、つくづく感じた。 
   
闇金ウシジマくん





3月のライオン

 大友啓史監督、神木隆之助主演の「3月のライオン」を観た。
 いい映画だった。2日間に渡り、前編・後編と観た。どちらも2時間以上で長かったけれど、もっと観ていたかった。
 孤独を描くことで、人はひとりではないことを伝えているような映画だった。プロ棋士の世界は凄絶なのだろうと感じた。戦うという言葉が、これほどふさわしい世界はないのではないかと思うほどだ。努力してなれるものでもない、選ばれた者だけの世界。心血を注いで努力しているのに、自分ではそうと気づかないほど、とことん努力できる者だけが選ばれていく世界なのだろう。
 世の中には天才もいればろくでなしも確かにいて、そのどちらでもない人がほとんどだ。そして、天才は天才なりに、ろくでなしはろくでなしなりに、どちらでもない者はどちらでもないなりに、もがきながら生きていて、結局はその誰もがただの人間に過ぎないとも言える。
 キャストはみなはまり役に思えたが、高校教師役の高橋一生が、いい味をだしていた気がする

  
3月のライオン【前編】 DVD 通常版
3月のライオン【後編】 DVD 通常版




聖の青春

 若くして亡くなったプロ棋士の生涯を描いたノンフィクション小説を映画化した作品だった。
 羽生義治と互角に渡りうほどの才能の持ち主で、10代の頃から頭角を表し、メキメキと力をつける彼だが、幼いころから難病を抱えていた上に膀胱癌を発病してしまう。
手術をしなければ余命は3か月と宣告されたとき、麻酔をすると脳が鈍るから、「将棋、弱くなりたくないんで」麻酔なしなら手術をしてもいい、と言った場面が忘れられない。羽生義治と初めて二人きりで、ひっそりと酒を呑む場面もまた、印象的だった。「負けたくない」それがすべてだと言い切る二人がその晩交わした、一見抽象的な約束は、将棋という魔物にとりつかれた天才同士の、真摯な約束だったに違いない。それが果たされる場面には心底、胸を打たれた。
 天才と比べても仕方ない、などという言葉が言い訳にしか聞こえないような、見終わったとき、自分の人生を振り返らずにはいられない、そんな作品だった。

   
聖の青春 [DVD]





ことり (小川洋子)

 ことりとその歌声を愛してやまない兄弟の物語だった。
 兄は10歳のときに、弟以外の誰にも理解できない言葉しか話さなくなる。そして、両親が亡くなったあとは、兄が52歳で亡くなるまで兄弟二人きりで暮らすのだが、慎ましく内向的な生活の中で、小鳥の存在だけが明るさと豊かさを添えていた。
 小鳥の声に耳を澄ましたり、小鳥の様子を、つまりは小鳥の命をじっと見つめる時間を大切にすることのほかには、こんなに変化のない、住んでいる町から出ることもないような人生が、実際あるものだろうかと思ったが、少し考えてみると私自身の人生こそが内向的で自分の町から出ないようなものではないかと気がついた。若いときには何度か国内旅行をしたけれど、行き先は限られていたし、趣味と言えるほどのものもなく、成り行きで仕方なく結婚してからは日々家事を繰り返すばかりだった。
 しかし、誰にとってもこう生きなければならない、ということはなく、自分の生活に自分で納得できればそれでいいのだろう。こんな風に思えるのは、ここ数年で趣味は読書と言えるようになったことや、最近はDVDで、ではあるが、映画をよく観ているせいもあるのだろうか。人生は他者に認めてもらうためにあるのではない、と思う。そういえば「あん」という映画の中の言葉に「私たちは、この世を見るために、聞くために生まれてきたなら、何にもなれなくても生きる意味はある」というのがあった。
 人生の捉え方も、人それぞれで構わないに違いない。
    

ことり

ことり





追憶

 2017年公開の降旗康男監督作品「追憶」を観た。
 孤児、暴力、殺人、隠蔽、別離。最初からずっと、うしろめたさに覆われたような空気が漂っていたけれど、人が人を思う気持ちが物語の奥底に流れていた。そしてその気持ちが明るく幸せな時間を生み出すわけではなく、むしろ寂しさや悲しみを掘り起こす場合が描かれていた。
 殺人事件の犯人や動機より、もっと重大な(というと殺された人に申し訳ないのだが)パンドラの箱のような秘密が最後に明らかになり、そんなまさかと思いながらも、救われたような、でもやっぱりやりきれないような複雑な気持ちにさせられた。
途中「運命なんだ」という言葉がでてきたけれど、いつどこで聞いた「運命」よりも、重たく深い感触が残った。

追憶 DVD 通常版

追憶 DVD 通常版





りんごの花咲くころ (石坂洋次郎)

本棚の片隅にひっそりと収まっていた本を読んでみた。
初版は、昭和50年12月30日
そして、昭和54年9月20日 7版発行、とある。
おそらく30年以上前に購入した文庫本だるう。タイトルに見覚えはなく、自分で買ったのかどうか判然としないが、忘れているだけで自分で買ったのだろう。
今の文庫本よをも字が小さく、どのページもすっかり変色していたが、収録されている5つの短編は、どれも密度の濃い小説だった。小説に密度の濃い薄いがあるのかどうか分からないが、手短にこの本の印象を述べようとしたら、そんな言葉になった。
表題作の「りんごの花咲くころ」は戦中戦後の話て、夫が戦死し、形見を持って訪ねてきた夫の部下と残された妻が、家族ぐるみで交流するうちに心を通わせていき、やがて夫婦になるのだが、何年か前に映画になった「永遠の0」を思い出させた。実際、戦争のために引き裂かれた夫婦はいくらでもいて、その数だけ家族の物語もあるのだろう。
国や世界の歴史からみたら、人間の一生はほんの一瞬で、それをのみ込みなから変化していく「時代」こそが生き物のように思えてくる。  
林檎の花咲くころ (1956年) (角川小説新書)